suzuyam2002’s diary

♯日々のできごと ♯茶道 ♯通信 #令和

伝統とは何か

おはようございます。最近は毎日5月のさわやかな朝ですね。
今日は先月経験した芸術的なうれしい体験を皆さんと共有したいと思います。
先月東京音楽大学でペルー人のルイス・デラカイエさんの演奏と音楽教育学の
博士論文に対する説明がありました。

この方はペール―で生まれ、まず伝統音楽をケーナーで学び、
10代のころ10年ほど能楽師観世 栄夫氏のもとで伝統音楽とはどういうものか
学んだり、鼓童冨田勲氏と共演した方でした。その後インドでヨガなども学ぶのですが、25歳ころ音符を読むようなシステマティックな音楽教育を受けてなかったのにも関わらず、一念発起してフルートでコペンハーゲン音楽大学西洋音楽

学んだようです。

 

ルイスさんの演奏も音楽教育学も確かに素晴らしかったのですが、
一番印象に残ったのは私が最後の最後に質問した伝統とは何かということです。

論文の説明中、英語で伝統とは演者がその時々何を見せたいか、その人の解釈によるということをさらっと言ったのですが、私はこれは南米がスペインに侵略されたことを示唆しているのかと思いました。原住民だけの文化と支配された後の文化と伝統とは当然違ってくるからです。もし私の解釈があたってても公にそうだとは言ってくれないとは思いました。

実際最後に質問した時は今ここの瞬間を生きることそれこそが伝統だ少なくとも日本の伝統だとおっしゃいました。

それを繰り返していくことでやがてそれが伝統になっていく。

まさにそうだなとスーパー歌舞伎などを思い浮かべながらそう思いました。そして新しいことをすること、ルイスさんは4つの大陸での経験を経て一つの吹奏楽器を
生み出しました。ケナーとフルートの合わさったような4つの吹奏楽器を合わせたような笛です。

この質問の後に弾いてくれた曲はまだ行ったことのない南米の冷たい風やパタゴニアなどの厳しい生活も感じさせますが、と同時にどういうわけか通小町の最後のシーンを見ているようなゆったりとしてでも死者の恨(ハン)をもった魂が私たちの目の前にオーロラのように下りてきているような不思議な感覚にとらわれました。

発明のことに戻りますが、鼓童にも発明賞を取った片側面をジャム瓶の蓋のように取り外しできる太鼓があるのを思い出しました。

私の友人のピアニスト柳真由美さんもそれぞれの指と鍵盤の色合わせをして小さな子供や認知症の人がピアノ曲を弾けるように発明しました。
そうやって伝統は日々革新されていくのですね。

さて、私は死ぬまでに何か新しいものを生み出せるかしら?

貴方は既に何かを残せましたか?